子育てママのslow life

1児の母、会社員、妻、女。仕事・育児・家事・趣味など日々考えていることを綴っていきます。

ベトナム ホーチミン旅行(ベトナム戦争の地、CuCHi)

ベトナム戦争とは

 ベトナム戦争は、第二次世界大戦後に資本主義のアメリカと共産主義ソ連との対立(東西冷戦)を背景とした代理戦争です。当時のベトナムは南北に分かれており、北側の北ベトナムソ連共産主義国家として、南ベトナムアメリカが資本主義国家として統治しておりました。(朝鮮半島と同じですね。)南北に分断されたベトナムを統一しようとする人々が南ベトナム解放民族戦線を結成し、アメリカ軍と対立します。

ベトナム側の戦闘員はごく普通の農民や、女性も戦闘に参加していました。ベトナム側の戦闘員はべトコンと呼ばれていました。(日本でいうジャップみたいな呼び方で、差別的なニュアンスが含まれています。)民族統一をかかげるベトナム側は、目的達成に向けた意志の強さと団結力でアメリカ軍を苦しめたそうです。ごく普通の一般人が戦闘に参加していたため、アメリカ軍は誰に襲撃されるか分からず一般人も含めて多くのベトナム人が殺害されました。

この戦争でアメリカ軍は、クラスター爆弾や地雷、枯葉剤などの兵器を次々と使用しました。慣れない熱帯雨林での戦闘を有利にするために森林を枯らし、敵の姿をすぐに見つけられるようにしました。

今回訪れたCuChi(クチ)は、枯葉剤も散布された激戦地だった場所です。

 

 

クチトンネル(CuChi)

クチトンネルは、戦時中にアメリカ軍が落とす爆弾や枯葉剤から身を守るために掘られた地下トンネルです。このトンネルは蜘蛛の巣のように張り廻れされており、全長200㎞以上あります。トンネル内は1階から3階まであり、1階は約3m、 2階は約6m、3階は約9mの深さがあります。歩いてみると分かるのですが、この辺りの地面はとても硬いです。この土地を鍬でトンネルを掘ったのだから相当大変な作業だったと思います。

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 こちらの写真がトンネルの入り口です。とても小さな入り口で、ふたをして枯葉をかぶせるとどこがトンネルの入り口か全くわかりません。ベトナム人は世界でも小柄な人が多い民族だそうです。ベトナム人ならこの穴に入れますが、大柄なアメリカ兵では入れません。私も実際に穴の中へ入ってみました。入り口も狭いですが、中の通路もとても狭かったです。中は真っ暗で、ほふく前進するような形で移動しました。

このトンネルは、アメリカ兵を奇襲攻撃するためにも使用されました。背後から突然銃撃し、穴の中に隠れます。アメリカ兵はどこから襲撃されるか分からず常に気が抜けない状況だったそうです。

 

爆撃による穴

戦時中、アメリカ軍は多くの爆弾をこの地域に落としました。その爆弾によってできた穴がクチにはいたるとことにありました。先ほど紹介したトンネルの1階は何度も壊されたそうです。

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いろいろな種類の落とし穴

こちらは、ベトナム兵がアメリカ兵を落とすために作った落とし穴です。アメリカ軍が落とした不発弾から落とし穴用の針を作っていました。針には返し(釣り針のような)がついていて、一度刺さると抜けなくなるようになっています。


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タイヤで作ったサンダル(ホーチミンサンダル)

ベトナムの戦闘員はタイヤで作ったサンダルで熱帯雨林の中を走っていたそうです。暮らし慣れた場所だからこそそんなことが可能だったのでしょうね。このタイヤのサンダルですが、足跡が逆につくようになっています。自分が進んだ方向と逆の方向に進んだような足跡が付くので、アメリカ軍の追跡を逃れるための知恵がすごいです。


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戦時中の主食、タロ芋

このタロイモ熱帯雨林のいたるところにあるそうです。調理前の芋を見せてもらいましたが、木の根のようで教えてもらわなければこれが芋だとは気づきません。これも熱帯雨林での生活を活かした戦時中の食事ですね。実際に試食させていただくことができました。芋だけではほとんど味がありません。右上にある調味料(ナッツと塩と砂糖を混ぜたような味でした。)を付けて食べるとなかなか美味しかったです。

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銃の試し撃ち

ここでは、ベトナム戦争で実際にアメリカ軍やベトナム兵が使用していた銃の射撃体験ができます。私はベトナム兵が使用していたAK47という種類の銃を試してみました。アメリカ軍が使っていた銃よりも小柄なのですが、撃った後の衝撃がとても痛かったです。試し撃ちでは銃が固定されていますが、実践では自分の肩で衝撃を受け止めていました。これを戦時中は女性も使用していたと思いと驚きます。

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ベトナム戦争は1975年、最終的にアメリカ軍が撤退してベトナムが勝利しました。アメリカにとっての唯一の敗戦です。

クチを訪れると、なぜベトナムアメリカに勝利したのか分かるような気がします。東西冷戦の中、共産主義国の台頭を阻止することが目的のアメリカ兵に比べ、ベトナム兵は自国の南北統一と民族統一に向けた団結力と強い意志を持って戦争に臨みました。その団結力と意志がこのクチトンネルを作ったのだと思います。

アメリカが散布した枯葉剤の影響で、戦後多くの方が後遺症に苦しんだり、奇形児で生まれてきた子供達もたくさんいます。ベトちゃんとドクちゃんの双子は日本でも有名ですね。この戦争はアジアに社会主義国の拡大を防ぎたかったアメリカのエゴを強く感じます。代理戦争により同じ民族同士で戦い多くの戦死者、被害者が出ました。

戦後まだ43年しか経っていませんが、現在のベトナムは活気にあふれていました。多くの若者がバイクに乗り、商売をしています。小さな子供を連れた家族もたくさんいました。しかし今もこの国のどこかに戦争や戦後の後遺症に苦しんでいる人達がひっそりと暮らしているのだなと思うと戦争という行為がいかに愚かなのだろうと考えさせられます。